気ままに生きるきさらぎの暮らし

ウェブリブログに書いていたものをブログタイトルを変更してお引越ししました。雑記ブログです。

眠くてごめん〜今年で最後の3.11祈りのコンサート

すみません、初めにお伝えしておきます。

この日の前夜、3時間くらいしか寝れてなくて。

眠気MAXだったんです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



3.11といえば。

12年前、あの震災があった日です。

私は職場でレジに入ってました。

3時でレジ交代だから、交代したらトイレ行きたいななんて思ってた頃、あの強い揺れ。

スタッフ皆でお客様を避難させ、自分達も店外へ。

店長不在の日だったため、店をどうしたらいいのか判断できず、しばらく外で揺れる電線を眺めたり、とりあえず荷物を取りに行くかっていって休憩室へ戻ったり、そのあとは車で過ごしながら店長(またはその上の人間)から帰宅許可がくるのを待っていました。

その車の中で見た、携帯のテレビの映像。

震えが来るほどの恐怖。

信じられないような大津波、降りしきる雪、屋根の上に逃げた凍えそうな人達。

そんな衝撃的な光景が3.11にはどうしようもない現実でした。

 

あれからもう12年ですね。

今年の3.11は土曜日。

旦那がこんなチラシをもらったよと見せてくれたのが、毎年3月11日に開催されている「祈りのコンサート」のものでした。

たまたま私も仕事が休みになった日。

旦那も休みを取り(元々は出勤だったそう)時間はギリギリになるけれど娘の部活が終わってから仙台まで出かけることにしました。

 

コンサートは無料で全席自由、東北地方のメンバーを中心に合唱、管弦楽、声楽で構成されており、モーツァルトの「レクイエム」を演奏します。

今年で10回目ということでしたが、この節目で一旦最終回となるそう。

無料ですし、ニュースでも報道されていましたので、かなりの人が集まるのではないか、午後から出発して見に行ったところで席が埋まっていて見れないのではないかという不安を抱えながら家を出ました。

で、です。

時間が押し迫っているのでランチは車の中でおにぎり。

運転手は旦那。

私は後ろに座って揺られてるだけ。

ただでさえお昼寝タイムになりそうなのに、前夜3時間くらいしか寝てないって…。

そりゃあもう眠気がすごかったですよ。

目の焦点は合わなくなるし、眠ってしまわないためにわざわざコンタクトにしていったのにどんなに踏ん張っても意識が飛びそう…。

気づいてなかったけど、あとから見たら合間にしたツイートも誤字ってた(笑)

ねぇ、行きの車の中ですらこんなんですから、クラシックなんて聴いた日にゃー寝てしまうの必至じゃないですか。

意地張ってコンタクトにしないでメガネで来てたら、この時間に少し眠って本番はいくらかは意識はっきりできてたのかしら…。

 

さて、猛烈な睡魔と闘いながらも無事仙台入りし、会場隣の立体駐車場に着いたのは開場時刻ちょっと前。

間に合って良かったねぇと会場となる電力ビルへ入ったところ、エレベーター前には既に行列が。

しかも「整理券の配布は終了しました」なんて貼り紙まで。

え?整理券ないともしかして入れない?と不安になりながら列に並んだのですが、普通にエレベーターに案内してもらえましたし、入場するとパンフレットも頂けました。

ほっとしたのも束の間、場内には既に多くの観客。

1000席あるホール内に入ってびっくり、一人がけの席ならあちこち空いてますが、二人並んでの席は残りわずか、3人連続の席なんていったいどこにあるやら?な状況。

ホール内を横断して、端っこの前方の座席を見るとなんとか3人座れる場所を見つけることができました。

その他に3人座れるところなんてほんと数えるほどしかなかっただろうなぁ。

着席してからの風景↓

コントラバスの3名が音出しをしていました。

学生時代吹部経験者、最近はドラマの「リビーサル・オーケストラ」を楽しみに生きているわたくし、生の演奏への期待に心が踊ります。

 

さて、入場を終えてもまだ黙祷、開演までは30分ほどあります。

パンフレットを眺めていると、連絡先と氏名を記入する用紙と、震災のときの被害の様子の写真などが印刷されたものが挟まれていました。

今回は震災当時内科長をされていて、大津波が来る前に患者さんを病院の屋上へ避難させ、救助が来るまで丸2日間医療行為を続けられたお医者さんからお話をしていただけるとのこと。

あの寒さの中、現場はさぞ壮絶だっただろうなと推測できました。

 

午後2時46分、黙祷からコンサートは始まります。

実行委員長(この方も出演者でした)の挨拶のあと、1分間の黙祷。

それから一曲め、「アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)」。

このときは声楽のソリスト4名は袖ステージから合唱に参加されていました。

思ったよりすぐ曲が終わってしまいました。

うむ、この調子ならなんとか眠らずに済ませられるか…?

しかし次のモーツァルトの「レクイエム」は、前半終了後、震災経験者のお医者さんのお話が入るそう。

で、この「レクイエム」だけで公演は終了となりますから…そうですよね、長いですよね。

旦那と娘はパンフレットの対訳を眺めながら聴いていたようですが、そんなもん見てもわかんねーだろーなーと初めから放棄していたわたし、とにかくステージを凝視し続けます。

が!!やはり睡魔は襲ってきます。

ああどうしよう、また焦点が定まらなくなる瞬間が何度もやってくる…頭かくんってなりそう…。

こんなときは…落ち着きなく動く!(座ってんのに)

手のツボ押しをする!

でもでもだけど!眠いもんは眠いー!!

 

そんなこんな格闘をしながら何とか「レクイエム」前半を乗り切った私(こんなんなので曲の感想とかない…)、次はお医者さんの被災体験談です。

 

お話してくださったのは、震災当時公立志津川病院の内科医長をされていた菅野武さん。

震災で15メートルもの大津波に襲われながらも、患者さんを屋上に避難させ、救助がくる三日後まで救急救命に当たられたそう。

救助を待つ間、亡くなって発見されたときのためにマジックで体に名前を書き始めた話とか、震災後の健康被害のこととか、志津川病院の後継となる南三陸病院の総工費40億のうち半分の20憶は台湾からの支援であることなど、今まで知らずにいたお話を聞くことができました。

菅野先生は11日に被災、その後救助され、16日には仙台にいた奥様のところへ戻りお子様が誕生、しかしその後すぐに医療現場へ戻られたそう。

ニュースなどでも紹介され、なんとタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選出されたんですって。

なんともお医者様の鑑のようなお方です。

 

そんな胸に迫るお話(菅野先生のお人柄か、雰囲気的には深刻になりすぎず和やかな場となりました)のあと、「レクイエム」の後半へ。

ええ、そうですよ、こんな講演を聞いて身が引き締まったのもほんの一瞬の話で、再び私は睡魔との闘いへ誘われたわけです。

今度は一生懸命訳詞を見てみることにしました。

おお…読んでもイマイチ理解しにくいし、歌詞繰り返し多いな…。

そうだ、そうだった。

子供のころ合唱団で歌ったオラトリオ「ハレルヤ」もそんなだったわ。

ハレルヤハレルヤ言って他の歌詞も同じことの繰り返しだったわ。

そうねぇ。

私も中1で合唱をやめず、もしくはやめても再開していれば、こんなイベントにも参加したりしてたのでしょうか。

それとも吹奏楽かな。

私はパーカッションだったから、今回でいうとティンパニしか出番ないけど。

娘はクラリネット担当してるから、クラリネットの音が気になるようで、でもあんまり聴こえなかったと残念がってました。

弦楽器のが多かったからねぇ。

 

後半ももぞもぞ動く作戦とツボ押し作戦を発動させ、訳詞を見ながら過ごしました。

演奏後の拍手はせず、代わりに黙祷を捧げます。

立ち上がって一分間の黙祷…気を抜くとフラフラと寝てしまいそうなので秒数数えてました。

30秒くらいでした。

娘のカウントもそのくらいだったそうです。

…はい、すみません、こんな崇高な演奏会なのに、眠い話ばっかりで演奏の感想がひとつもないなんて。

次回からクラシックコンサート前にはきちんと睡眠をとるようにします。

ごめんなさい。

今回で最後だからってこともあって聴きに行ったのになぁ。

私も残念です(どういうこと?)

 

今回のコンサートに出演されたのは

合唱 174名

管弦楽団 57名

総勢231名という大楽団でした。

声楽のソリストの方も東北ゆかりの方ばかり、そして実行委員長である髙阪知節さんは東北大名誉教授、音楽監督・指揮者の佐々木正利さんは岩手大学名誉教授という高学歴揃い。

また、声楽家の中には腕が肘くらいまでしかない方がいらっしゃったのですが、そんなこと一切気にすることなく一人の演奏家としてコンサートが行われていたのもいいなと思いましたね。

ステージマネージャーには山形交響楽団OBの方が参加されており、合唱には遠く岡山からの参加者もいらっしゃいました。

たくさんの方々の想いによって運営されてきたことがうかがえますね。

 

通路上にまで観客が溢れた3.11祈りのコンサートは今年で一旦終了となりますが、またいつか節目などに復活するかもしれません。

そんなときはぜひまた眠気なしで聴きに行ってみたいと思います。

はい、眠気なしで。

これ大事。